審美歯科

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ふるさと銀河線メモワール  その2 上利別駅とバロン西

院長は十勝をさらに北上。

足寄を抜け、陸別に向かい最中に、ある駅によりました。

 

 

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こちらです。上利別駅。

いかにも「旧駅」の雰囲気があるでしょ?「廃線ファン」にとっては「これよ!これ!!」というたたずまいではないでしょうか?

 

 

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上利別駅は、1910年(明治43年)9月22日に開業しました。

なお、駅舎内には入れません。

 

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ホームに出てみました。目の前の製材所はいまだ操業中。

 

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ホーム側から駅舎を見たところ。地元の人たちが描いたのでしょうか?

かわいらしいキャラクターであふれていました。

 

それにしてもなんとなく趣がある建物。

もう一度ご覧いただきましょう

 

 

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どことなく気品を感じさせます。

で、気になってネットで調べてみました。

 

この上利別駅の近郊にはかつて、陸軍軍馬補充部十勝支部があったそうです。

軍馬補充部とは、旧日本陸軍の外局で、軍馬の管理を行う部局であった、とのこと。
そのため軍馬補充部に勤務する軍属が使用することもさることながら、軍幹部や政府要人の来訪も考慮されている、とのこと。確かに駅舎入口の特徴的な屋根は、地方の文化財に指定されてもおかしくはありません。

そしてこの「軍馬補充部十勝支部」には、なんとあの「バロン西」も所属していた、とのこと。

数年前に話題になった、クリント・イーストウッド監督作品「硫黄島からの手紙」では、「バロン西」も登場。伊原剛志さんが熱演されていましたね。(5月15日訂正 バロン西を演じた方のお名前を間違っていました。大変失礼いたしました。)

ここで余談になりますが、「バロン西」なる人物について調べてみましょう。

 

 

「バロン西」の本名は、西 竹一 さん。

西竹一は、1902年、外務大臣などを歴任した西徳次郎男爵の3男として、東京に生まれました。なお、父、西徳次郎男爵は義和団事変の処理にもあたった、とのこと。

その後、陸軍士官学校卒業後、西が馬術を好んでいたためもあり、当時の陸軍では花形とされていた「騎兵」を志して習志野陸軍騎兵学校を卒業。その時に、西の生涯の友となる愛馬「ウラヌス」と出会います。

西氏は陸軍中尉時代の1932年、ウラヌスとともにロサンゼルスオリンピックに出場。馬術にて見事に金メダルを獲得しています。
ちなみにこの時に記録は、今現在でも馬術で日本人がメダルを獲得した唯一の記録だそうです。
この時のウラヌスと一体となった優美な姿に観衆は魅せられ、優勝が決まったとき、会場中がスタンディングオベーションとともに
「バロン ニシ!!」(バロンは男爵の意味)と快哉したそうです。

当時の馬術は、全競技の中でももっとも「華」のある競技とされていました。特に欧米では人気が高く、そこで東洋人が優勝したことから、西の名前は全世界に知れ渡りました。

当時、日本は満州国の立国に関与し、世界から敵愾心を向けられていたのですが、その負の感情をも乗り越えて知名度を上げた西は、特に欧米の社交界において注目を集め、以後、「バロン西」というあだ名で呼ばれることとなりました。
さらに西自身も非常に社交性に富んだ人物で、その好印象はアメリカの日本人へのイメージを一変させてしまうほどだったそうです。そのためアメリカの映画俳優たちとも交流を持っていたそうです。

西はその後のベルリンオリンピックにも出場した後、軍務に復帰します。

しかし、西の天真爛漫で開明的な性格や、欧米での名声は陸軍内部での嫉妬と反感を買ったらしく、さらに戦場での主力兵器が騎兵から戦車主流へと変化する時代の趨勢もあったため、西の立場も揺れ動き、各地を転々とさせられました。そして1943年には西自身も戦車兵へと転身しています。

バロン西の十勝勤務、は、そんな「左遷の地」の一つ。彼は支部長補佐として、また「少佐」として十勝に着任しました。

そして十勝勤務の後に満州勤務を経て、あの硫黄島へ向かうことになります。

硫黄島での戦いにおいて、西は1945年3月17日に音信を絶ち、3月22日に米軍の火炎放射器によって片目を失い、最後には仲間と最後の突撃の後、戦死したとのこと。享年42歳。ロサンゼルスの栄光から12年が経過していました。

なお、バロン西の名前をよく知るアメリカ軍は彼の存在を惜しみ、

「五輪の英雄バロン西、出てきなさい。君を失うのは惜しい」

と、特別に名前を指定して投降を呼びかけた、とのこと。

彼の名声は、敵をも尊敬させるほどに高まっていたことがわかります。

この時、投降を呼びかけたとされる人物は、映画関係者であり、その縁で西と交流が深かったサイ・バートレッド米軍陸軍大佐。

バートレットは戦後の1965年に西の夫人を訪ねています。。

なお、彼の「親友」である愛馬ウラヌス号は、西が命を失った1週間後に東京にて処分された、とのこと。
そして西が死ぬまで離さなかったウラヌス号のたてがみが、平成2年にアメリカで発見され、現在、十勝の本別町にある民族資料館にて保管されているそうです。

 

そしておそらく、西氏は上利別駅を利用していると思われます。

 

 

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おそらくバロン西が降り立ったであろう、上利別のホーム。

 

ここに初めて降り立ったとき、そしてこの駅から満州へと赴くとき、彼はどのような心境だったのでしょうか?上の画像の彼方に見える山の景色を、バロン西も見ていたと思われます。

 

「人に歴史あり」とは言いますが、駅にも歴史があるんですね。

本当に何の気なしに始めた銀河線の沿線旅だったのに、そして単なる字町の簡素な駅だと思っていたのに、そこにも立派な歴史があるんですね。

 

つくづく「歴史の扉」はどこに開かれているのか、わからないもんだなあ、と実感。

 

皆さんも、もっと地元の事を調べてみてください。