審美歯科

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歯科・小児歯科
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☆函館関連★ 時代が始まり、終わる街 その2

(前回からの続きです)

 

渡島半島各地の重要地から松前藩を追い出し、占領に成功した幕府軍。五稜郭にて新しい政権樹立を目指します。

ちなみに(ちなんでばっかりで申し訳ございません)、院長は松前城にもいきました。
津軽海峡を望む、見晴らしのいいところでした。藩校などもあり、城下町の体裁が整えられていました。函館から片道でも2時間かかりますが、北海道ではほかに見られない景色が見られます。

さて、五稜郭の新政権は、「共和国」を宣言します。旧幕府軍はここに、幕藩体制の再興を放棄して、全く新しい「国」を作ることを決意しました。

一説にはアメリカやイギリスが箱館政権を承認する動きがあった、とか。もし、承認されていれば、今頃、本当に北海道には日本とは別の独立国ができていたかもしれません。北海道にとっては大きな分岐点だったのかもしれませんね。

五稜郭はその形から、全国的な観光地ですが、実際にはあまり実用的ではなかったようです。
また、院長は五稜郭の北側にある「四稜郭」にもいきました。正直に言って、周囲を高い土の壁で囲っただけ。この四稜郭は、森方面から侵入してくるであろう敵(最初に幕府軍が侵攻してきたのと同じルート?)を迎撃するために作られました。実際の新政府軍との戦いでは数時間しか持たなかった、とか。ここでは幕末の重要人物、大鳥圭介が指揮をとりました。

さて、箱館政権ですが、四稜郭を築いて新政府軍の上陸に万全を期したものの、新政府軍は夜中に函館山に上陸。山上から砲撃を開始しました。完全に裏を取られた箱館政府軍は敗退。
(本当はこの経過は非常に面白いのですが、今回は割愛させていただきます)

土方歳三は今の函館市街のどこかで自刃します。(銃撃による死亡説あり)

さて、戦闘の終わった箱館では、市中に旧幕府軍の死体が遺されていました。
明治政府ははじめ、「逆賊である」として埋葬することを禁じましたが、自然発生的に住人達による埋葬が行われます。明治政府もその行為を黙認。
そして、戦後、新政府に参加した榎本武揚、大鳥圭介により、函館山のふもとに旧幕府軍の兵士たちを祀る鎮魂碑、すなわち碧血碑が建てられました。

東京の靖国神社は、新政府軍に属して戦死した人たちを祀っていますが、日本史のもう一方の側の人たちが、ここに眠っています。靖国神社のような立派な建物ではありません。でも、「逆賊」の汚名をつけられたものの、日本史で重要な場面を演じた人たちであることは確かです。

函館周辺にはこのほか、日本史を代表する2隻の船も沈んでいます。
一つは前述した開陽丸、もう一つは咸臨丸。
咸臨丸は、日本が初めて太平洋横断した時に使用された船。かの勝海舟も乗船していました。咸臨丸はその後、幕府軍によって箱館に移動、現在は木古内沖に沈んでいます。

日本の新時代の幕を開けた西洋式の船2隻が、道南の海に眠っています。

函館は最初に開港された、日本でも最も早く新時代を迎えた町であるとともに、旧幕府軍が日本で最も最後まで抵抗した、日本で最も遅くまで「江戸時代」が続いた場所でもあります。。

新時代が始まり、江戸時代が終わった場所。函館山は、この二つの時代の境目が同居する、とても不思議な山です。

碧血碑は、函館山の麓の森林の中に、ひっそりとたたずんでいます。
靖国神社とは雰囲気が全く異なりますが、「もう一つの靖国」とも言えます。

函館山では、年表では線が引かれることで示される時代の変わり目を体感することが出来ます。