審美歯科

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歯科・小児歯科
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札幌市西区西野5条3丁目7-1
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☆函館関連★ 時代が始まり、終わる街 その1

 

 

 

(今回、靖国神社、という名前が出てきますが、あくまでも明治時代のお話で、なにかと政治問題になる第二次大戦以降の靖国神社問題とは関係がありません。幕末のお話しとしてご覧ください。)

院長が函館に住んでいた時、函館山を登山したことがあります。
車やロープウェイではなんども上りましたが、徒歩はなく、この際、がっつり経験しておこうとおもいました。

登山口から山頂を目指します。
途中、なんと杉の木を発見!
院長は今まで、杉の木を見たことがありません。登山口にあった資料によると、なんでも幕末に植えられたもの、とのこと。
江戸末期、日米和親条約が締結されて箱館は開港されました。その際、松前藩の統治を離れ幕府直轄地となりましたが、幕府役人が箱館に赴任し、函館山を見たとき、絶句しました。なんと木が一本も映えていないはげ山になっているではありませんか!
当時の函館山の木は、松前藩が薪に使用するために伐採したために、山林が切りつくされていました。史料には当時の写真が掲載されていましたが、見事に木の無い哀れな山肌が写っています。幕府はすぐさま函館山の植林を命じました。そのとき、本州の杉の木が植えられた、とのこと。函館山の生態系にも、開国の歴史を見ることが出来ます。

登山道を進んでいくと、案外早く頂上に到着しました。決して険しい道ではなく、1時間くらいで登山可能です。観光ついでに登山することも出来ますので、ぜひ、挑戦してみてください。
頂上の展望台でくつろいでいたとき、ふと思いました。来た道を下山するのは簡単だけど、せっかくだから函館山を全部踏破しよう!
函館山の展望台や観光道路のあるところは、函館山の一部分にしかすぎません。函館山を登山することがこの先の人生においてあるとも思えず、それならば一周してみようと考えたわけです。
早速、函館山一周コースの登山道に入りました。

皆さん、函館の街中から函館山を見たことがある方も多いかと思いますが、その函館山を裏側から見たことがありますか?1周コースでは、普段見る機会の少ない函館山の裏の顔を見ることが出来ます。
さて、登山を続けているとわかってくるのは、いわゆる「函館山」と呼ばれるところは1つの山によって形成されているのではなく、いくつもの山が寄り添っているんだなあ、ということです。
函館山、は今でこそ「山」になっていますが、もともとは孤立した「島」でした。
北海道は魚の「エイ」に例えられますが、このエイのしっぽにあたる、道南地方のある半島を渡島半島といいますね、この渡島半島はさらに二手に分かれて松前半島と亀田半島にわかれます。函館山は、この亀田半島の傍にあった「島」でした。

フランスの有名な世界遺産、「モンサンミシェル」をご存知の方も多いと思います。島全体が教会や街になっていて、「天空の城 ラピュタ」を思わせます。
このモンサンミシェルと陸地との間は海水があるものの、その水位は非常に浅く、干潟のような感じ。モンサンミシェルと陸地との間は、時間によっては陸続きにもなります、

なんでも島と陸地との間では、条件が合えば土砂がたまり、地続きになるとか。(詳しくは地学の先生に聞いてください。)
このモンサンミシェルの「陸地化」が進んだ姿が、今の函館山。現在の函館駅などがある市街地は、以前は海なのでした。

さて、函館山の探検は続きます。登山コースはあちこちに枝分かれしたコースがあります。あるコースを進んでいくと、その先には砲台やトーチカの跡がありました。
函館山は戦前、要塞化されていました。

地図を見てみましょう。日本海と太平洋を日本列島が隔てています。この2つの大海を行き来できる「進入路」は、対馬水道と、津軽海峡のみ。津軽海峡は重要な場所でした。
また、函館湾自体が天然の良港としての条件を備えていました。そして函館山は、その津軽海峡を監視するには十分な場所。歴史上、ロシアは太平洋への玄関口を持ったことはありません。
ウラジオストクが拠点となったものの、日本海での活動に制限され、太平洋に出るには津軽海峡を通る必要がありました。さらに函館から北の地域では、オホーツク海は冬の間は氷に閉ざされますし、日本海も荒れ模様。

 

函館は、湾状の地形による天然の良港である上に、一年を通して港が凍らず、太平洋と日本海、両方にすぐに移動できる場所、極東地域における戦略的な拠点でした。

函館山は、地形の面白さや、地政学など、いろんなことを教えてくれますね。

さて、登山コースは佳境に入ります。下りにさしかかりました。
これがかなりきつく、細くてジグザグな坂道を下らなければなりません。そのジグザグの、折り返し地点に至っては崖に近く、かなりの脚力を必要とします。
歴史と地理に思いをはせたハイキングは、一転して川口探検隊の様相を呈してきました。インディージョーンズを気取っていたら、本当にやらなければならない羽目になった感じです。

このジグザグ、運動不足の身には本当にきつかったです(苦笑)。

それでもなんとか下りきりました。舗装道路のありがたみを感じました。

さて、今度は森林の中を歩きます。ここは木道が整備されていて、先ほどと比べたらきわめて快適。ルンルン♪気分で歩きます。
すると、森林のなかに大きな記念碑が見えてきました。

そばに行ってみると、「碧血碑」の文字が。

この碧血碑こそ、日本の歴史の「もう一方の側」を象徴する場所でした。

幕末、そして明治初期。

新政府軍と幕府軍の争いは、新政府軍の有利に進行。江戸城の無血開城も行われます。
しかし、幕府残党は江戸を脱出、箱館にこもります。

旧幕府軍を率いる榎本武揚は、箱館に直接上陸せず、亀田半島の北側、イカ飯で有名な現在の森町付近の海岸に上陸したそうです。ここから南下して、陸上から箱館を攻略、その後、土方歳三が率いる軍勢が、松前に侵攻。松前藩は津軽に敗走しました。
旧幕府軍の軍勢が有利であったのは、当時の最新艦である「開陽丸」の攻撃力にあります。開陽丸により、事実上、幕府軍は制海権を握っていました。
ちなみに箱館占領後、幕府軍は天然の良港である江差を攻略。しかし、この時、頼みの開陽丸が座礁して沈没してしまいます。このため、幕府軍の制海権は失われてしまいました。

先日、JR江差線の廃線が決まった、とのニュースがありました。(院長注 2012年10月に記載しました)  院長は函館にいたとき、車で江差まで行ったことがあります。地図上では細長い渡島半島ですが、地形は非常に険しく、太平洋側と日本海側の間には急峻な山地がそびえており、太平洋側と日本海側の交通は簡単にはできません。院長が通った峠はJRが伴走していたものの、道が狭く、冬は除雪されないとのこと。渡島半島は、札幌よりも函館が中心地とみなされていて、渡島半島各地にとって函館との行き来は大変重要。今回の廃線により、日本海側から函館への交通が少なくなってしまうかもしれませんね。
ちなみに江差には開陽丸記念館があり、当時の船体の実物大(?)の復元や大砲の発射の仕方が体験できたり、となかなか面白いので行ってみてください。

なんか長くなってます。続きます。