審美歯科

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☆函館関連★ ペルリ提督、函館に上陸す! その4 ペリーの上陸

船上での会見から3日後の4月26日、ついにペリー提督が函館に上陸します。
前日、松前側がアメリカ艦隊に使者を派遣し、4月26日の午前11時ころに、陸上にて一同と会見したい旨を伝えました。

この時の歓待について松前勘解由は、自分たちが饗応をしてもらったのだから、こちらも酒肴を整えなくてはならない、と大変な気の使いようでした。のらりくらりの態度とは裏腹に、非常に緊張していた様が伝わっています。

午前11時、ペリー一行が上陸。

この時にも山田屋屋敷にて、両者は会見します。

今回の会見でも先に動いたのはアメリカ側でした。

通訳士ウイリアムズは、本当に勘解由が全権を信任されているのか、信任状を確認したい、と要望。

前回の会見以来、アメリカ側の不信と不満が高まっているのがわかります。

これに対して松前藩役人は、藩主から勘解由に手渡された手控書を提示。
アメリカ側もこれを確認し、いよいよ交渉に入ります。

問題となったのは、アメリカ側の箱館での遊歩区域に関する日米和親条約の第5箇条の部分。

「一 合衆国の漂民其他の者共、当分下田・箱館逗留中、長崎に於て、唐 和蘭人同様閉籠め窮屈の取扱いこれなく、下田港内の小島周り凡七里の内は勝手に徘徊いたし、箱館港の儀は追て取極め候事。」

 

長崎はオランダ人と中国人がすでに使用していて窮屈だから無理。下田では港の周囲7里まで出歩いても良い。でも箱館に関しては後で取り決めることにする、とのこと。

つまり函館に関して、幕府とアメリカは、細部の詰めを先送りにしている状態でした。

 

アメリカ側は下田と同じ7里の範囲を要求しますが、これは幕府とアメリカとの取り決めに関することなので当然の如く松前勘解由には決定権はありません。

 

推測ですが、アメリカ側は、このあいまいに残された部分を利用して、箱館において広い範囲の「既成事実」を作り上げ、幕府に追認させようという意図もあったのではないでしょうか?
欧米列強が植民地を確保する際、当地の支配者との取り決めを無視して、既成事実を広げ、しぶしぶ追認させる、という手法がよくとられています。
ペリーは、松前側が幕府の意向を把握していないことを利用して、あたかも幕府が認めているかのような姿勢を匂わせることで、箱館でのアメリカの権利を広く築いてしまおうとしたのかもしれません。

そして最初にお話しした通り、当時、蝦夷と江戸との移動には30日を必要としていました。対してペリー率いる「黒船艦隊」は、わずか4日。幕府が急いだとしても、さすがに4日では情報伝達に差があり過ぎる。
ペリーは、幕府から現地の松前藩まで、条約に関する正確な情報が伝えられるまでの間に、松前藩が全貌を知らずに困惑している間に、「条約が結ばれた」という事実のみを押し立てて、急いで条約外の項目も認めさせてしまおう、という意図もあったのではないか、と思われます。

それに対し、松前勘解由は「余計な言質を取られない」という姿勢を貫徹。

もしこの時、迂闊に何かを認めてしまっていたら、それを口実に日米和親条約自体が形骸化されてしまっていたかもしれません。

結果、ペリーは箱館にて、条約以上の権利を広げることはできませんでした。

 

結局、両者の交渉は1時間に及びましたが結論が出ず、ペリー提督は勘解由に対し、夕方までの回答を要求し、屋敷を後にしました。

その際、ペリーは市中を見学することを申し入れ、認められていました。

その日の午後4時、副官ベンテらが回答を受け取りに屋敷まで来訪した際の松前藩の回答は、遊歩区域に関する交渉の拒否、でした。

 

これがペリー提督と松前勘解由の第2ラウンド。

これまた勘解由は、論点のぼやかし、回答の引き伸ばし、そして決定権が無いことを理由とする拒否、の姿勢を守り通しました。