審美歯科

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☆函館関連★ ペルリ提督、函館に上陸す! その6 ペリー、函館を去る

4月26日の会見にて、「交渉拒否」を貫いた松前勘解由でしたが、実際にはその判断にかなり苦心していたようです。

ちょうどそのころ、蝦夷地見聞のために、幕府の直臣である目付・堀利熙、勘定吟味役・村垣範正が、津軽海峡を挟んだ対岸の津軽・三厨まで視察に訪れていたのを知り、使者を派遣して見解を求めました。

堀、村垣らの任務はあくまでも蝦夷地の見聞であり、条約に関することは一切関知していなかったのですが、事の重大さを鑑みて松前藩の要請に応じ、同行していた部下の中から支配勘定・安間純之進、徒目付・平山謙次郎、勘定吟味方下役・吉見健之丞、小人目付・吉岡元平、蘭学者・武田斐三郎らを箱館に派遣します。

彼らは5月5日に箱館に到着。ペリー提督と会談します。

その際、アメリカ側の書面を受け取り、翌日の返答を約束して会談を終了。

その後、松前藩からの事情も聞き取ったうえで、アメリカ側に返答を届けます。

その返答ですが、箱館港に関する細かな取り決めは、後日、下田にて林大学頭(ペリーとの交渉の際、幕府側の中心となった人物。条約締結に関して大きな決定権が与えられていた模様)と協議するべきである、として「地方政府」である松前藩と交渉するのは筋道が違うことを正した上で、箱館訪問は単なる視察であるとした神奈川滞在時のアメリカ側自身の言明を前面に押し出し、アメリカ側が松前に対し新たに要求するのは不当である、とアメリカ側の姿勢を非難しました。
ペリー提督も、相手が幕臣であることを認識しており、この返答を「幕府の見解」と受け取らざるを得ませんでした。

この時点でペリーが企図した箱館での条約外の権利の確立の道は、絶たれたといえます。

繰り返しますが、もしこの時、「黒船」に威圧されて松前側がアメリカの要求を唯々諾々と受け入れてしまっていたら、箱館、すなわち函館のその後の性格も変わっていたかもしれません。清王朝における香港やマカオのように。

なお、この時に箱館に派遣された蘭学者の武田斐三郎ですが、若いころ、大阪の緒方洪庵に師事して蘭学を学び、その後、佐久間象山のもとで砲学、兵学を学びました。そして27歳の時に浦賀沖にアメリカ艦隊が出現した後、かの吉田松陰とともに浦賀にて「黒船」を目撃し、その様子を「三浦見聞記」に記しています。その後、幕府に才能を認められ、長崎にてロシアのプチャーチンとの会談にも携わり「通詞御用」(通訳)を拝命。交渉の後に幕府から今回の蝦夷地・樺太巡察を命じられていたのでした。
そのため、ある意味、ペリーと「会見」した2度目になるのかもしれません。
浦賀沖にて驚愕した黒船の司令官と、1年後に自分自身が交渉することになるとは。ある意味、感慨深いものがあったのかもしれません。
もう少し武田斐三郎について脱線いたしますと、ペリーとの交渉後、樺太などの巡察の任に戻り、その後、箱館奉行所が設置されると箱館詰めを申し渡されます。箱館では砲学、兵学の知識を買われて弁天台場(大砲の設置)の開設、そしてあの「五稜郭」の設計・建設に携わりました。
さらに「諸術調所」が開設されると教授役に任命され、榎本武揚、前島密ら、明治維新において重要な働きをした人物たちを指導しています。
他にも溶鉱炉を作ったり、ロシアの黒竜江まで交易を兼ねた旅行に行くなど、当時の日本においての随一の「グローバル派」でした。
この箱館での功績が認められて幕府より江戸出仕を命じられ、江戸開成所の教授役や、大砲製造所頭取に任じられるなど、当時の日本の「最先端」分野にて活躍。
新政府に参加した後には日本軍の近代兵制、運用、装備などを含めた明治の科学技術分野の第一人者として認められます。

またプチャーチン、ペリーとの交渉経験を買われて外交折衝にも起用され、フランス軍事顧問団との厳しい交渉も成し遂げ、明治8年(1875年)に陸軍士官学校を開設します。しかしこの時の心労が過大であったため、1880年に亡くなりました。

まさに明治時代以降の近代日本を築いた重要人物。なんとなくマイナーな扱いがされてしまいがちですが、その重要人物も若いころ、箱館にてアメリカとの交渉という厳しい現場を経験していました。

 

お話が逸れに逸れてしまいましたが、ペリーはこの回答を持って、これ以上の要求をあきらめます。

しかしこの回答が出たとき、すでに必要な測量を終え、下田での再交渉の日程が迫っていたこともあり、箱館滞在の終了を決定。

1854年5月8日、抜錨して箱館港を後にしました。

 

「箱館は素晴らしい良港である」という感想とともに。