審美歯科

診療案内

診療科目:
歯科・小児歯科
診療時間:
月・火・木・金
9:00〜19:00
昼休み/12:30〜14:00
土・日 9:00〜17:00
昼休み/13:00〜14:00
休診日:
水曜・祝日
お電話:
011-669-8211
所在地:
札幌市西区西野5条3丁目7-1
[map]

本棚通信余話 小説に見る「美味しい」言葉

今回は、時代小説の中に見つけた食事のシーンの描写に関する特集です。

画面を見ながらご飯を食べてみてください。

 

 

 

「青みを帯びた皮の、まだ玉虫色に光っている、活きのいい見事な秋鯵(あきあじ)だった。皮をひき三枚におろして、塩で緊(し)めて。そぎ身に作って、鉢に盛った上から針しょうがを散らして、酢をかけた。・・・・・・・見るまに肉がちりちりと縮んでゆくようだ。心ははずむように楽しい、つま には、青じそを刻もうか、それとも蓼酢(たです)を作ろうか、・・・・・・」

これは山本周五郎の「柳橋物語」からの一節。もう、情景が目に浮かんできますね。

言葉というのは実に不思議な道具。相手に情報を伝達するのも役目なら、相手の想像力を膨らませて脳を満腹にしてしまう。いえ、かえっておなかが空いてくるかもしれませんね。

山本周五郎の作品には、こういった江戸時代の、ごく日常の情景がでてきます。
例えば次の一節。

「久しぶりに店があいたので、おせんは一刻(いっとき)もかかって掃除をし、床板の隅々まで丹念に拭きあげた。それから酒を買って来て、火をおこし、笹がき牛蒡(ごぼう)を作って泥鰌(どじょう)を鍋に入れ、酒で酔わせて、味噌汁にしかけてから、座って縫物をとりひろげた。」
「汁のかげんはちょうどよかった、いちど下ろして、燗(かん)をする湯を掛け、漬物を出した。」

本当に日常のささいな情景を言葉にしているだけなのに、皆さんの頭には現実として浮かんでくるのではないでしょうか? そして、普段ならあまり見かけない漢字の「秋鯵」「蓼酢」「牛蒡」「泥鰌」なども、こういった描写で用いられると、不思議と食欲をかきたてる表現になるから不思議。ひらがなやカタカナでは、漢字で表した時ほどの質感を想像できません。

さらにさらに続けますと

「たとえば万六の朝の善である。小茄子の塩漬けと少々の菊の花の酢の物、それに昨夜の塩鮭の残りと味噌汁といった中身だが、小茄子は俗に嫁に食わすなという秋茄子、菊の酢の物とともに上等の味を持つ漬物である。塩鮭は昨夜の残り物と言っても、喰いかけのところは取り去ってこんがりと焼きなおしてあるし、味噌汁は青菜に賽の目に切った豆腐という具合で、およそ手抜きという事をしないのが亀代の料理だった」

これは藤沢周平の「ど忘れ万六」からの一節。こちらも漢字が豊富に使われているにもかかわらず、漢字が食材の情景をとても豊かに表現しています。

他に

「かつおの表面に火をかける。でも、表面が白くなるくらいで中までは極力通さない。火からおろし、刺身にする。中が黒く、外が白の輪郭で覆われた見事な身を皿に盛り、かつお節を乗せる。醤油をかけるとかつお節が揺らぎ、さらに活気が出てくる。引いたばかりのしょうがを乗せ、口に運ぶ」

出典を忘れてしまいましたが、この一文を読んだ夜は、一晩中、カツオのたたきが頭に浮かんで眠れませんでした。

これらの小説の中に出てくる言葉には「麗しい味」「そよ風のような」「まったりとしていてそれでいて」などの表現はでてきません。淡々と情景を表わす言葉を並べているだけなのに、なぜかとても食欲がわいてしまう。漢字と平仮名の組み合わせで、想像力がかなり膨れ上がるようです。

ちなみに村上春樹の作品にも「サンドウイッチを食べ、ビールで流し込む」といった表現があります。サンドイッチではありません、サンドウィッチ。
最近、なぜか、時代小説に出てくる食卓の表現に惹かれてしまいます。

でも、こういった情景を想像するには、やはり元となる光景がないと難しいのでは?いくら美辞麗句を並べて文の技巧を極めても、読み手の頭の中で再生できなければ意味がありません。で、その再生がどこまで可能かは、自分自身の経験によるところも多いのではないでしょうか?最初に紹介した一文も決して贅沢な食卓ではありませんし、藤沢周平にいたっては前夜の残り物でできた朝ごはんの描写。現代の食卓に並んでいてもおかしくありません。

こう考えると、小さいころからのささいな食事の記憶が、こどもの想像力の発達に役立つかもしれませんね。

話がそれ気味ですが、読書の秋と食欲の秋というのは、表裏一体で、つながった存在だと、最近気づきました。