審美歯科

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歯科・小児歯科
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札幌市西区西野5条3丁目7-1
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札幌100景  夏の赤レンガ道庁 その2

赤レンガ道庁館内の探検を続けましょう。

 

 

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なにやら厳かな感じのする部屋へ。

 

 

 

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おお、立派な会議室風!!一流レストランのようでもあります。チーズハンバーグディッシュが食べたくなります。

 

 

 

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恐らく長官の机と思われます。

。いいですね!思わず何かの書類にハンコを押したくなります。

 

 

 

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館内には歴代の北海道知事の肖像画が展示されていました。

 

 

 

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初代北海道開拓使長官・鍋島直正です。

明治維新の大功労者にして維新政府の重鎮です。

直正は1830年、若干17歳にして佐賀藩主に就任。遊びにふける親父や取り巻き家臣から実権を奪い、数々の藩政改革を決行。藩財政を立て直し、西洋式技術を導入して幕府軍を装備で圧倒しました。

また医学の分野でも貢献が大きく、日本でいち早く天然痘のワクチンを輸入し、日本の天然痘を根絶させました。

このように鍋島直正は、当時の日本において最も先見の明に優れ、常に時代を先取りしていました。

明治政府に参加後もロシアの南下政策を早くから警戒して北海道の開拓を積極的に後押しし、初代の北海道開拓使に就任。ただ北海道に赴任することはありませんでした。しかし弘道館出身で諸国への遊学経験のある島義勇を開拓使判官に任命。

彼の「先を見る目」は北海道にとどまらず、50年後の食糧・燃料の欠乏を予測して、開国間もないころから満州開拓やオーストラリアでの鉱山経営を構想、提言していました。

 

ここで登場した島義勇について、避けて通るわけにはいきません。

島は北海道開拓になみなみならぬ情熱を注いいだ人物。

島は鍋島直正の命により、安政3年から4年(1856年~1857年)にかけて蝦夷地と樺太を探検して「入北記」として記録・報告。その経験から1869年に北海道の蝦夷開拓御用掛、開拓使判官に就任。札幌の建設に乗り出します。

ただの原野であった現在の札幌の地に「世界一の都市」を作るという遠大な計画をたて、京都や佐賀の碁盤目状の街路を参考に建設にまい進します。

しかし彼の計画は費用や労働力の疲弊も大きく、解任されてしまいます。

なお、後に同士でもある江藤新平とともに「佐賀の乱」を起こし、敗れて斬罪されてしまいます。
しかし北海道や札幌の開発への功績は大きく、札幌市役所、北海道神宮、円山公園などに彼の功績をたたえる記念碑があります。

ちなみに北海道神宮の脇、駐車場の近くに六花亭のお菓子屋さんがありますよね。

ここで以前までは「判官さま」という餡子入りお餅が、なんと無料で食べることができました(現在は販売のみ)。これがとても美味しく、北海道神宮に参拝した際には必ずいただいていたのですが、この「判官さま」は、北海道判官であった島義勇にちなんで命名された、とのこと。

北海道神宮を訪れた際には必ず食べてみて下さい。美味しいです。

 

 

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こちらは肖像画だけでわかってしまう方も多いのでは?

明治維新の重要人物、黒田清隆です。

薩摩藩の人で、あの薩長同盟にも関与。箱館戦争では新政府軍の指揮をとって勝利しました。

その後、1870年に樺太の開拓次官となって樺太に赴いたものの、ここでロシアの樺太進出を実感。帰京後、政府に対し、樺太を放棄して北海道の開拓に専念することを提言しています。

そして1871年に北海道開拓使長官に就任。彼は北海道には赴任せずに東京で指揮をとったものの、クラーク博士の招請や、榎本武揚などの旧幕府軍であった人物を登用して北海道開拓に抜擢するなど、積極的に行動していました。

ちなみに「開拓使官有物払下げ事件」という疑獄事件も起こしたりしております。

 

 

 

 

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こちらも幕末の重鎮、西郷従道。西郷隆盛の弟です。

彼は早い段階からロシアに対する備えを提唱していました。

 

 

 

 

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なんだか長くなってしまいました。間宮林蔵の像などもありますが、趣旨からそれてしまうのでこの辺で終了。

 

 

 

 

 

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以上が夏の赤レンガ道庁でした。