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2016年をゾンビで締めたお話し

  • Date / 1月 7th, 2017
  • Category / 雑談

今回は、現在公開中の映画「バイオハザード」に関する内容です。「ネタバレ」になる可能性もありので、見る予定のある方はご遠慮ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん、2016年の仕事納めの後の休日に、何をなさいましたか?

一年の「シメ」になる行動を行った方も多いかと思います。

自分も2016年の「シメ」を行いました。

それは公開中の映画「バイオハザード・ファイナル」を劇場に見に行く、というもの。

今や「B級ゾンビ映画」の王者となった感のある「バイオハザード」シリーズ。まあ、ゾンビ映画はどれもB級ですけどね。

自分はこの「バイオハザード」シリーズを、なんと「1」から映画館で見ているのです。

別に大ファンだから、というわけでは無いのです。たまたま「1」と「2」を見てしまったら、後は惰性で「見に行かなきゃ」と思うようになってしまったのです。

で、気が付けば、これまで2年間隔で放映されてきたこのシリーズを10年以上も追いかけることに!!

そんなに強い思い入れがあるわけでもないんですけどね。実際、「3」「4」の内容はあんまり覚えていません(苦笑)。

この自分の30代を捧げた(?)バイオハザード・シリーズも、いよいよ終わる、となると、映画館に行かざるを得ません!!

正直、「やっと終わるのかよ」という感じ。なんせこのシリーズは、毎作「次に続くよ~!」という結末で終わるため、ある種のストレスがたまるのです。

映画自体は、毎回、時間を潰すには最適な良質「アクション映画」なんですよ。そう、このバイオシリーズは、2以降はもはや完全にアクション映画になっています。毎度、アクションシーンにはホレボレしてしまいますね。あのアクションシーンのおかげで、自分のような映画に強い思い入れの無い一般人は「一定の満足感」を得ることができます。

この3連休、特に予定の無い方には「じゃあ、バイオシリーズを一気見したらどう?」と進めることができるくらいには、面白いです。

この「ファイナル」でも、終わりまで手に汗握るアクションシーンが続くので、飽きることはないです。正直、バイオハザードシリーズはアクションシーンを楽しむものであって、ストーリーの些細な矛盾なんてどうでもいいです。

「トランスフォーマー」も、あのトランスフォーマーのメカの迫力を楽しむものなのであって、ストーリーなんていいんですよ。素人には。

最近の若い人はB級映画に対し「あの設定はどこに行った?」「この伏線が回収されていない」「以前の話と矛盾している」という指摘をする方が多いですが、1980年代後半から1990年代前半の「B級ハリウッドアクション映画」を見まくっていた自分にとって、映画の中の矛盾や伏線の放り投げなんて当たり前。「爆発シーンの使い回し」「何発当たっても死なない主人公」「突然のセクシー展開」「ご都合主義」が普通でしたので。

いいんだって!その安っぽさ、単純さが「B級アクション映画」なんだって!!そういう文化なんだって!

話が逸れましたが、毎回、「次で終わる」と期待させ続けたバイオも、「5」では人類がいよいよホワイトハウスに追い詰められている状況で終了!

周囲に広がるゾンビの海のなか、ポツンと浮かんでいる「最後の砦」を、どうやって切り抜けるのか?前作終了から気になっていたのです。

しかもこの間、「主演のミラジョボヴィッチが出産する」というニュースを聞き、大変不謹慎ながらも、「頼むからまず完結させてくれ」と思っていまいました。ちなみにご出産おめでとうございます。

そしてついに公開された「ファイナル」では、なんとホワイトハウスが陥落した後から始まります。おいおい、あんだけ期待させて、あの設定はなんなんだ!と、思いましたが、上述のようにB級映画に細かいことを求めてはいけません。「現実をうけいれる」のみ。この意識が無いと「バイオシリーズを劇場でコンプリートする」という行為を持続することはできません。

開始早々、バカでかい空飛ぶモンスターが襲ってきます。おそらくコウモリか何かのゾンビなのだろうけど、もはやゾンビとは思えません。ファイナルファンタジーに出てきそう。

そして主人公はあっさり勝利!この「主人公が無敵」というのも、このバイオシリーズをある意味、安心して見ていられる重大な要素。ゾンビ映画では主人公もゾンビに怯え、いつ殺されてもおかしくない、という緊張感のもとに進行しますが、バイオシリーズでは主人公のアリスが強すぎるため、見ている側も「彼女に任せていれば大丈夫だ」と信頼しながら鑑賞することができます。
そして公開前から日本でも大きな話題となっていた「ローラの出演」の件。

ネット上の記事では「扱いが小さい」という批判がありますが、ご安心ください。

「アルマゲドンの松田聖子」よりは長く出ていた、と断言できます。

あの時も公開前に散々テレビで煽っておきながら、出演シーンはわずか3秒という結果に終わっていましたが、今作でのローラさんは「分単位」で出演しています。

 

それはさて置き、映画は進行し、ついにアンブレラ社の真の目的が明かされます。まあ、正直、SF好きなら「前にもどっかで聞いたことがあるような・・・・」という内容ではありますが、アンブレラが実は壮大な目標のもとに行動していた事実が発覚!!

しかしエヴァンゲリオンの時の怪しげな組織の目的と言い、「そんなことに、あんなに大掛かりな事をやっちゃうの?」と思ってしまう今日この頃。

 

そしてついにラスト!!

ゾンビファンにとって、ゾンビ映画、もしくはゾンビの結末を見るのは、ある種の夢でした。いや「ソンビの終焉」を描くことは、ある種のタブーであった、と言っても決して過言ではありません。今作では、その「タブー」についに足を踏み入れてしまった!!

で、その「ゾンビ問題」の解決法ですが、まあそれしかないよなあ、という感じではあります。

ある意味、予想されていたことではあるのですが、それが実際に映像となってしまうと、あれだけ見たかった「ゾンビの結末」であったはずなのに、なんだかさみしいような、虚しいような。「ゾンビが終わってしまう!」という思いが込み上げてきたのです!!

そして思ったのですよ。

我々はなぜ、ゾンビを見るのか、と。

バイオシリーズ最終作品は、「汝、ゾンビに何を求める?」という問いかけを、世界のゾンビファン投げかけました。

 

我々ゾンビファンは、どこから来て、どこへ向かうのか?

 

シリーズの完結とともに、ゾンビファンに重い命題が残されました。

 

自分は、来年(2017年)を「ゾンビ元年」と位置付け、この命題を追求していくことを決意し、映画館を後にしました。

 

・・・・・・・が、そんなことは「笑ってはいけないシリーズ」を見ているうちにバカバカしくなったので、辞めることにしました。

今年もよろしく!

 

 

なお、バイオハザード・ファイナルは、アクションシーンがとても楽しいです。ゾンビに興味の無い人、ゾンビ怖い!という人も、安心してみることができますので、冬休みにお勧めです。

アーセン・ベンゲル 「勝者のヴィジョン」 その3

  • Date / 10月 10th, 2016
  • Category / 雑談

ここまでベンゲル監督の著作を見てみると、その中身も実に「読ませる」内容になっていることがわかります。

章立てでいろいろなことが話されているのですが、章の開始は軽い話題から入り、徐々に確信にせまり、そして章の終わりの結論は、極めて論理的で無駄の無い言葉運びのため、見ている側は各章の終わりに至ると読む速度が加速し、一気に最後まで読んでしまいます。

それは、一冊の本を通しても当てはまります。本の終盤に至るにつれ読書スピードの加速度が増します。話はいよいよクライマックスへ。彼が最も言いたかったこととはなんなのでしょうか?

ベンゲル監督は、ワールドカップでの日本の戦いぶりや、ブラジル、イタリアなどの代表の印象などを語りました。

その上で日本代表の強化のためにいくつかの意見を提示しています。
そのうちの一つをご紹介。

「こうして日本のワールドカップでの戦いぶりを振り返ってみると、今回のチームがさまざまな点で日本サッカー全体の特長と課題を象徴していたことがわかる。
あらためて整理してみよう。
まず日本代表は日本のサッカーそのものをプレーしてみせ、それは見る人に好印象を与えた。このことは日本のサッカーが正しい方向に向かっていることの証明であり、それはまた世界のサッカーの潮流とも一致しているという事だ(注 あくまでもフランス大会終了後の話)。これで満足していいというわけではないが、3敗という結果をもって悲観的になる必要はない。結果よりも内容を見るべきだと思う。
だが試合には勝つことができなかったのは事実であり、今後の課題でもある。
そして敗因を分析すると、やはり攻撃力に行き着く。日本の弱点は創造性に欠けること、不測の事態に対応できないこと、そして攻撃の質に問題があること、などにある。そしてこれらの弱点は、相手ゴールから25メートル以内に入ると特に目立つようになる。攻撃の質の問題とは、主としてテクニックの問題である。」
「徹底した戦術や組織立った戦い方は日本の長所であり、とくにそれは守備面で発揮された。個人技よりも組織と運動量を優先させた戦い方は間違っていない。ただしサッカーとは最後は1対1の戦いなのであり、これを避けることはできない。日本の攻撃陣はこの戦いを避けていた。そして日本の場合、1対1の戦いに弱いというのは必ずしもフィジカルの弱さからくるものではない。ここでも問題はフィジカルよりもテクニックにある」

こうして日本の弱点の本質をむき出しにしたうえで、ここから、彼が言いたかった大事なことの一つ目が語られます。

「これは他のスポーツにもいえることだが、私は選手の技術が向上するということは、個人の自己実現を伸ばすことだと思っている。
サッカーにおけるテクニックとは、作家の持つボキャブラリーに似ている。ボキャブラリーが豊富だからといって作家としての才能があるとはいえないが、ボキャブラリーが少なければ優れた小説を書けるわけがない。テクニックも同じことだ。
まず重要なのは、選手たちに価値ある技術を植え付けていくことだ。選手のボキャブラリーを増やしてあげることだ。実用的なボキャブラリーを増やしていけば、選手は思い通りに自己実現をするようになるはずだ。」

自分が最初にここを読んだ時、「ボキャブラリー」の意味が分かりませんでした。でも、あらためて読んでみたとき、「ボキャブラリー」を「引き出し」に変えてみたところ、納得できました。
「引き出し」が多くなれば、それだけ色々な場面に対応できるようになるし、自分の「伸びしろ」を広げることになり、自分オリジナルの表現方法が確立されやすい、ということでしょうか。

このことについて、院長は最近、思い当たることが多いです。

そしてベンゲルは日本の課題の一つに、「コンプレックスの払しょく」をあげます。

「新しい日本代表が選手の質の向上に成功したら、次に必要なのはチームの目標を定め、自分たちがこれをベースにすればこのようなプレーができるのだというような、もっと自信をつけさせるプレースタイルを確立していくことだ。
そういうことが2,3年という短い間にできるのかと疑問に思う人もいるかもしれない。私はできると思う。私はできる事しか提案しない。私は日本のサッカーの基本的な部分の価値を信頼している。
ある意味ではそういう疑問が生じること自体が、日本人のコンプレックスを物語っているといえるかもしれない。」

これは正鵠を射ていますね。日本は「外国」への距離を意識しすぎているのかもしれません。

そして、その「日本人のコンプレックスを解消しようと、ベンゲル監督は雄弁に語り始めます。

「今回のワールドカップ(フランス大会。フランスが優勝)で、もしフランスが、自分たちは100年に及ぶサッカーの伝統がありながら、これまで優勝することができなかったのだから、きっと今回も優勝するはずがないと思っていたら、果たして優勝することができただろうか。彼らは優勝したことがなくても勝者のエスプリを持っており、勝てると信じていたから、チャンピオンになったのだと思う。
勝者のエスプリを備えていて、自分を固く信じていれば、勝てるチャンスは必ず巡ってくる。ワールドカップのような大会が自分たちに巡ってくるのをただ待っていて、勝てたら勝者のエスプリが持てるようになるだろうと考えてしまうこと自体、正しい論理とは言えない。

負けるのではないかと心配する以前に、まず勝者のエスプリを身に付けることの方が先決であるのは明らかだ。
イワン・レンドルはテニスの四大トーナメントの決勝で5回敗れながら、やっと初優勝を果たした。誰にだって人生で初めてのことはあるし、初めての勝利はある。(中略)
アーセナルにしても、リーグ優勝などできるはずがないと誰もが思っていたが、勝てると信じ込むことで勝者のエスプリを持てるのだと、私は選手たちに言い聞かせた。勝ちたいと思ったら勝てるのだと言い続けた。そして勝ちたいと思ったら、そのためのあらゆることをやってみる。」

そしていよいよベンゲルの伝えたかったことが語られます。

「自分は勝てるのだろうかと自問するのではない。あらゆることをやってみて、そのひとつひとつが自分を勝利に導くのだと自分に言い聞かせる。そして勝てる可能性が生まれる。
日々の小さな積み重ねから勝利のチャンスは生まれる。日常の小さな努力のひとつひとつが勝利につながる。そうした積み重ねのなかで、勝者のエスプリは養われていくものなのだ。」

そして、自身の心構えについても言及します。

「サッカーのチームで選手たちにその気持ちを持たせようとするなら、まずは監督本人がそのことを自分自身で信じている必要がある。
コミュニケーションは言葉による表現と、無言のうちに伝わってしまう表現がある。口で言うことはある程度ごまかしもきくが、無言のコミュニケーションはごまかせない。
私が自分のチームに「君たちは勝てるんだよ、絶対に勝てるんだよ」といくら口で言ったとしても、心の底で100%勝てると信じていなければ、それは私の態度、ボディーランゲージを通じて、周囲の人々に無意識のうちに伝わってしまう。
選手に「君たちは最高のチームだ」といくら口で言っても、私の身体や神経が言っていることと裏腹であったなら、つまり全面的に選手を信頼していなければ、選手はそれを敏感に感じ取ってしまう。
自分の目の前にいる相手をごまかすなど不可能だ。だから私は心の底から、自分の言葉と自分のやっていることに納得している必要がある。
私はシーズン前、まずチームへの対応の仕方を明確にした上で、自分の思っているサッカーをチームが可能にしてくれることを心の底から信じるようにしている。(以下略)」

そういえば栗山監督は11.5ゲーム差を離されていた時も、優勝を目標に掲げていましたね。

そして彼が何より伝えたかったこと。

「だがいつだって、ここまでやれば絶対勝てるという保証などない。勝ち残るチームは皆、同じような信念と同じような意欲、それに同じような自信を持っているからだ。
勝ったことのない者がどうやって自信を持てるのか。
勝てるチャンスはあると信じる姿勢があり、そのためにあらゆる取り組みを実際に行い、そこで初めて本当に勝てるチャンスがやってくるのだ。
勝ったことがあるから勝者のエスプリを持てるわけではない。勝ったこともないのに、どうして勝者のエスプリを持てるかなどというのは発想が逆だ。勝つためにこそ、勝者のエスプリは必要なのだ。
勝者とは必ずしも試合に勝つ者を意味しているわけではない。困難に打ち勝った者、征服した者のことなのだ。
大きなサクセスストーリーと身近に接していると、その裏には必ず同じだけの失敗があることに気が付く。表面に表れるのは成功だけかもしれないが、成功している人ほど、同じだけの失敗をしているものだ。
カメラを発明した人も、ある朝目覚めて、突然今日こそ征服してやろうと思い立ったわけではなく、さまざまな失敗を繰り返し、その失敗から学び、その積み重ねのなかからなんとかカメラを発明できたのだ。だがその心の底にはきっと、成功に対する確信があったはずだ。
それが勝者のエスプリというものだ」

 

日本ではよく、「根拠のない自信」と言われてマイナスに思われることがありますよね。でも、それこそが「勝者のエスプリ」なのかもしれません。

 

 

 

以上がアーセン・ベンゲル氏の著作「勝者のヴィジョン」からの抜粋。

 

最後に必要なのは「勝者のエスプリ」。すなわち「魂」!

 

いよいよ始まるクライマックスシリーズ・ファイナルは、「打倒ソフトバンク」という目標を達成するための舞台。

この数年間、ソフトバンクには何度も敗れてきましたが、それも全てこの決戦の舞台で勝利するために、通らなければならなかった道。

今までの敗戦の記憶や経験を生かして数年来の目標を達成し、真の「勝者」になってくれ!!

 

 

 

 

追記

 

ソフトバンクの皆さん、ススキノもいいけど、琴似もなかなか楽しいよ!

 

アーセン・ベンゲル 「勝者のヴィジョン」 その2

  • Date / 10月 10th, 2016
  • Category / 雑談

続きです。

ベンゲル氏は名古屋グランパスエイトの指揮を執り、2年間の日本滞在の後に欧州のアーセナルの監督に就任します。

しかし、日本での経験はベンゲル監督に様々ななものを残したらしく、また、どの欧州のサッカー関係者よりも日本への想いを強く持つようになったようです。

その一環として、彼は98年の前半に、当時名古屋グランパスエイトに所属していた福田健二、古賀正紘、両選手を、アーセナルに研修生として招待しました。

「98年の前半には名古屋グランパスエイトの福田健二と古賀正紘を研修生として迎え入れた。短い期間であったが、彼らにとって収穫は大きかったのではないかと思う。
トレーニングとはいえ、ベルカンプやアダムズといった選手と対抗することで得られるものは多い。どんな職業であれ、トップクラスの人と接する機会はめったにないチャンスだろう。それによって自信もついていく。そもそも自分より優秀な選手とのトレーニングは、それ自体進歩を早めるものだ。」

彼はこの後、ワールドカップについて述べたところでも、アジアなどの弱小地域からでも出場できる道を残すべきだ、と強調しています。
それによって、それらの「後進地域」が、世界のトップクラスと対戦する機会を得て、その経験が、その地域に後に大きな影響を及ぼす、と。

そして話はワールドカップへと移っていきます。

彼はフランスワールドカップの際の日本代表について述べています。

「大会前、私は日本がどんなチームか聞かれると、「よく組織されたスピーディーなサッカーをする。それを目の当たりにしたらあなた方は驚くだろう」と答えていた。
日本の選手には、けっして大きくはないが活発で、敏捷性に優れているという肉体的な特長がある。スピーディーで技術の裏付けがあり、良く動き回るそのプレースタイルのなかには、スペクタクル性も感じられる。ワールドカップでは、ゲームの展開を楽しませてくれる、心地よいサッカーを見せつけることができるのではないかと考えたのだ。
個々の選手に敵を圧倒する力があるわけではないが、チームには規律が浸透しており、誰もがチームプレーに徹しているのもその特長のひとつだ。個人を全面に押し出すのが当たり前のヨーロッパにあっては、これも新鮮に映るに違いない。
私は代表チームには自分たちの長所を生かした、すなわちその国のサッカーのアイデンティティーを感じさせるプレースタイルをとるべきだと思っており、日本代表にはそれが可能だと考えていた。
結論からいえば私の予想は当たり、日本はワールドカップを通じて、そのサッカーの魅力をヨーロッパのサッカーファンに伝えることができた。」

彼はフランス大会においての日本代表について述べた後、試合結果についても触れ、その上で以下のように話しています。

「しかし私は結果よりもプレーの内容を重視すべきだと考えている。その結果ではなく内容をもってして、世界には少なからず日本サッカーの理解者が生まれた。それがなければ、たとえば中田がペルージャにスカウトされることもなかったはずだ。
それに若い選手たちはワールドカップへの参加により、これ以上ない大きな国際大会を経験したことになる。このことも日本のサッカーの未来、特に2002年のワールドカップにはプラスになる。
私はいたずらに今回のチームをネガティブにとらえるべきではないと思っている。日本にとってフランスワールドカップは成功だった」

あのフランス大会後、多くの日本人が世界との大きな実力差を思い知らされ、失意の底に沈んでいた時、日本と世界のサッカーをよく知るベンゲル監督だけは、日本の成功を確信していたのがわかります。

彼はどんな内容からも、たとえ負けた試合からでもなんらかの「成果」を見出すことに長けているようです。
しかし、その「成果」も、精一杯、戦ったから得られたのであり、何もせずにただ負けたのであれば、ベンゲル監督に「成功」と言わしめることはできなかったかもしれません。そしてその言葉通り、この大会で注目された中田選手がイタリアに移籍し、ヨーロッパでも名が知られた選手へと成長していきます。こう考えると、負け戦でも、死力を尽くす価値はある、と実感できますね。

ベンゲル監督は、日本の「成功」を確信しながらも、将来への危惧も、同時に感じていました。

「さらに言えば、現代サッカーで個人がプレーの向上を図るためには、国際大会や他国のリーグを経験し、自分を試すことが必要不可欠になりつつある。この点で日本人が不利なのは、4年に一度のワールドカップを除けば、代表チームにしろクラブチームにしろ、本当の厳しい国際大会には巡り会えないことだ。
(中略)
私は日本にいたころ以上に、日本の選手が海外に出ていく必要性と必然性が高まっているように思う。日本にいては海外の一流選手との交流は望むべくもなくなってしまったし、日本人は相変わらず他国の人に見られない、サッカーに対してのコンプレックスに悩まされている。」

ここで象徴的な言葉が出てきましたね。
「日本人は相変わらず他国の人に見られない、サッカーに対してのコンプレックスに悩まされている。」
これは、サッカーに関わらず、広い分野において多くの外国人が指摘することです。
それはある意味、日本では「謙虚」とされることではありますが。

そしてベンゲル監督は、日本のサッカー界に苦言を呈しています。

「だがなお私は日本のサッカーについて楽観的な見方をしている。
日本のサッカーの現状を、もう一度客観的に分析していくと、もしサッカーが日本に根付かなければ、それは人的ミスによるという結論に達せざる得ない。日本には1億3000万の人口があり、ポピュラーなプロスポーツは野球しかない。相撲は人気があるが、今やそれは一部に限られている。そこにサッカーが入り込む余地は十分に残っている。
これがもしアメリカのように、競合するプロスポーツが4つも5つもあるなら話は別だ。プロスポーツが多すぎるという理由で、アメリカのサッカーの行方は混沌としている。それにも関わらず日本にサッカーが浸透しなかったとしたら、それはサッカー界の責任者たちが、サッカーの振興に必要な組織の整備もできず、浸透させることができないほど無力だったからだとしかいいようがない。どんな言い訳も絶対に通用しない。すべてを経済不況のせいにしてほしくはない。」

なんとも辛辣な言葉。ちなみに、ベンゲル監督がこの言葉を発した時から、14年の月日が流れています。

そしてトドメとばかりに、次の一言が。

「泣き言を言っている人たちは、ガラガラの駐車場を前にして「駐車できない」と叫んでいるのに似ている。私ならば、よほど不器用でない限り、駐車できないでいることのほうがよほど難しいのに、と思う。もし本当にそうなったら、それは私個人にとっても受け入れがたい失策というよりほかはない。」

なんか、サッカーに限らず、観客動員数の低下に悩んでいるすべての人へ向けられたかのような言葉。

でも、それは単なる毒舌ではありませんでした。

「日本のサッカーの価値は、世界に何かをもたらし得ると私は思っている。
私は日本にいま流れている悲観論に与しない。
確かに根拠のない夢想家の話よりは、出来合いの意見の方が安心感を覚えるし、信頼を得ることは多い。ただ人間の良いところは、歴史的に見ても、そして個人の人生の中でも、良いものはむしろ楽観から生まれているということだ。
すべての夢が実現できるわけではないが、夢見ることがなければ、そこからスタートしなければ何も始まらない。人類は何世紀も前から月に行くことを夢見て、やがてそれは現実になった。」

ベンゲル監督の顔貌を見たことがある方も多いと思います。いつも険しい顔をして、なかなか笑った顔を見せない。あるサッカー番組にベンゲル監督が出演した時、共演した方が、冗談としてベンゲル監督に向かって「どうしていつもそんな死にそうな顔をしているんですか?」と聞いていました。しかし、ベンゲル監督はやはり顔一つ変えずに、「私はいつも命を懸けて物事に臨んでいる(院長の意訳も入っています)」と、即座に答えていました。
生き方は顔に出る、と言いますが、ベンゲル監督の顔貌は、まさにこの言葉通り。

そんなベンゲル監督が、実は、根は楽天家だったとは驚きです。それは表面的に楽天的にふるまう、というのとはタイプが異なり、選手が楽観的になるにはどうすべきか考える、タイプの楽天家であることを教えてくれます。

「個人の人生の中でも、良いものはむしろ楽観から生まれているということだ」

こりゃあ、連敗しているからって、落ち込んでいる場合じゃないですね。

なんか思いがけなく長くなってしまっています。まだ続いていいですか?続きます。

アーセン・ベンゲル 「勝者のヴィジョン」 その1

  • Date / 10月 10th, 2016
  • Category / 雑談

本当は歴史の話題を書こう、と思っていたのですが、なんだかブログにふさわしくないような気がして。

どうしようか、などと考えていたら、クライマックスシリーズのファイナル直前じゃないですか!!

これは歴史なんて語って悦に浸っている場合じゃない!

しかもソフトバンクがロッテを相手に連日、快心の勝利をして札幌にやってくる!!

ソフトバンク。この名前を聞くだけでパリーグのみならずセリーグのチームすらも、怖れを抱かずにおられない。

 

日本ハムは「ファイナルラウンド」にて、ソフトバンクを倒してリーグの勝利者となりましたが、まだ勝負は終わっていません。
次なる目標である「日本一」の栄誉を手に入れるためには、やはりソフトバンクを倒すしかありません。

そしてこれは、この一年間、死闘を繰り広げてきた王者との、本当に最後の戦いとなります。

この一年だけではなく、日本ハムはこの3年間、ソフトバンクの背中を追い続けてきました。

リーグ優勝は大きな目標であり、偉大な結果であることに疑問の余地はありませんが、チームの目標には常に「ソフトバンク」がありました。

そして日本シリーズへの扉の前に立ちはだかったのは、やはりソフトバンク。

「日本一の風景」は、ソフトバンクの背中の向こうに広がっています。

 

 

ソフトバンクは乗り越えられない壁なのか?

数年間、悩まされ続けてきたこの問いかけに、決着をつけなければならない。

 

ついにソフトバンクと最後の雌雄を決する時が来た!!

 

このソフトバンクとの、今年最後の決戦を前に、何か「スゴイ」内容の記事を書こうと思ったけど、全然思いつきません(苦笑)。

そこで、以前、ご紹介したアーセン・ベンゲル氏の著書、「勝者のヴィジョン」をご紹介した、3年前の記事を再掲載いたします。

9月下旬のソフトバンクとの最後の2連戦の前に「アーセン・ベンゲルの言葉」と題した上沢投手に向けた記事を掲載しましたが、この記事は2013年の5月、あの地獄の9連敗中に書いた記事の要点を抜粋したものです。

今回は掲載当時の記事を、そのまま再掲載してみます。

この本を読んでいると、何故か静かな緊張感が高まってくるのは自分だけでしょうか?(笑)

ライバルとの最終決戦を前に、ファンも緊張感を再度、高めてみましょう!!

 

 

 

 

 

 

 

今回は、ある本をご紹介します。

先日のGWに帰省した際に本棚を改めてみたところ、アーセン・ベンゲル著「勝者のヴィジョン」というタイトルを見つけました。

自分は、いわゆる自己啓発本は苦手です。「会社で成功する方法」や「仕事がデキる人が心がけている習慣」などいろいろありますが、成功の方法や会社の振舞い方までマニュアル化されているようで。でも、この本の著者の名前を見たとき、何か魅かれるものを感じて購入しました。

アーセン・ベンゲルという方をご存知の方は多いと思います。いわずもがな、ですが簡単に触れると、サッカーのイギリス・プレミアリーグの名門、アーセナルの監督。ベンゲル氏が就任以来、アーセナルは数々の栄光をつかみます。しかし、ベンゲル氏がサッカー以外の分野でも有名なのは、彼の類いまれな選手育成能力にあります。無名の選手を発掘し、超一流のプレイヤーに育て上げる手腕は「マエストロ」とも呼ばれ、サッカーの枠を超えて尊敬されています。

そのマエストロが、サッカーや日本代表について語った本です。

これから内容をご紹介しますが、この本が出版されたのは1999年。ベンゲル氏がアーセナル監督に就任して数年目で、日本では2002年の日韓ワールドカップに向けて盛り上がり始めたころ。ベンゲル監督が語るのは、その当時の日本や国際情勢ですので、細かい認識では現在と異なっているかもしれません。あしからず。

さて、ベンゲル氏の有名な点として「抜群の育成能力」と書きましたが、本著の中で、自分は決してベテラン選手を軽んじてはいないことを強調しています。その際の選手を語る口調は、洞察力溢れるものとなっております。以下、少し抜粋してみます。

「キャプテンのトニーアダムスはディフェンダー的知性そのものといっていい。すべてを一瞬で見極め、一瞬で分析する超高速のコンピューターのようなプレイヤーだ。敵のストライカーが自分の動きを決断する前に、彼はその動きを読んでいる。ゲームを知的に展開できるし、決断力がある。
そして何より自己を超えることを知っている。正確な目標や方向付けを与える必要はあるが、目的達成のためなら何でもするし、そのための心の準備もできている。まさにアーセナルのリーダーだ」

「同じくディフェンダーのナイジェル・ウィンターバーンの持ち味はしぶとさにある。たとえて言えば、もう死んだと思って頭を切り落としても、またジャンプしてくるようなタイプ。才能や技術は別にしても、メンタル面では信じられないほどの強靭さを見せる。絶対に屈しない精神力の持ち主。もう35歳となるというのに、モチベーションは18歳並みの若さを保っている。」

「リー・ディクソンの精神力もウィンターバーン同様すば抜けている。ハイレベルなどという以上のものがある。もちろんモチベーションに優れているし、ゲームを展開していくうえでの知性も持ち合わせている」

選手紹介は続くものの中略

「現在、スティーブ・ボウルド、36歳。ナイジェル・ウィンターバーンとリー・ディクソン、35歳。マーティン・キーオンとトニー・アダムス。32歳。
この‘ゴールデン・オールディーズ‘こそイングランド最高のディフェンスだといわれているのだ。
彼らの存在は良質の赤ワインにたとえることができる。年齢を重ねるごとに輝きを増すからだ。
彼らの試合へのアプローチの仕方は申し分ない。彼ら決してトレーニングをおろそかにしない。私はスタジアムでのプレーとは、スタジアムを離れたところで何をして、どのように過ごしてきたかの結果に過ぎないと信じている。彼らは試合で、プロとしてとっているその態度への報酬を受け取っている。その存在はアーセナルというクラブの精神のなかでかけがえのない位置を占めている」

続きます

「彼らは十分な素質を持っていることはすぐにわかった。あとはそれを引き出すトレーニングをさせればいい。彼らに適したトレーニングを課すことによって、再び自信を取り戻すことが出来る。
しだいに彼らも、自分たちのプレーは個人のパフォーマンスよりチーム全体のパフォーマンスを、つまりはチームによる集団的表現を優先させるものであるべきで、ひいてはそれがチームの力になっていくのだということを感じ取ってくれたのではないかと思う。そのことはベテランが再び力を発揮するときには大きな意味を持つ」

ベンゲル監督は若手の長所を見抜く、と言われますが、この一文から、彼の観察力が若手だけに限らずベテラン選手にも向けられていることがわかります。

「実際、時間の経過とともに、彼らのなかに心理的な変化が起こっていた。プレーする喜び、チームに復帰する喜び、勝利への確信などがバロメーターとなっていった。(中略)
彼らに限らず、チームに勝利をもたらす選手というのは、自分がチームに何をもたらすことを期待されているのかを知っているものだ。そして自己犠牲を厭わない。年棒だけもらってあとは安楽に過ごすことだけを考えている選手は、そういったエスプリ(後述)を持ち合わせていない。
貢献への期待を自覚していれば、野心を刺激されるし、勝ちたいという意欲も湧く。彼らは勝ちたいとさえ思ったら、自然と努力するものだ。我々に必要なのはその環境を整えてあげる事なのである。」

そしてベンゲル監督は、このベテラン勢を再生させた、とのこと。

文中の「エスプリ」とは、ウィキペディアによると「 精神知性才気などの意味の他、霊魂などの意味もある。のはたらき。物質 matière (マチエール)と対比される。マチエールと違って「エスプリ」と日本語で使用するときは「フランス的精神」といった風にフランス人の国民性を反映した精神をさす用例が多い」とのこと。
日本で言う「大和魂」と言ったところでしょうか?

彼はこのフランス特有の言葉である「エスプリ」という言葉を、何度も使用します。それは自らの自信の根底に「自分はフランス人である」という意識を強く持っているからのようにも思えます。

以下、全ての選手について述べられているのですが、省略させていただきます。

そしてその後、「監督」について述べています。

「誰が見ても粒ぞろいの選手たち。このレベルのプレーは誰にでもできるものではない。
重要なのは彼らサッカーの天才たちを集めて、一つのチームにまとめ上げていくことだ。彼らはどのひとりをとっても、強烈なパーソナリティの持ち主ばかりだ。そのとがった角を丸く削り、磨き、しかも同じ方向にまとめていくのが監督の仕事だ。それはジグソーパズルを完成させていく作業にも似ている。
「ダブルクラウン」(リーグ優勝とFAカップ優勝)を獲得したこの年、私はイングランドの最優秀監督に選ばれた・。その理由は選んでいただいた方々に聞いてもらうしかないが、私は毎日の積み重ねの結果だと受け止めている。
年間を通じて毎日常に自分のベストを尽くしていても、その結果成功するかどうか、本当のところはよくわからない。成功のレシピがあるわけでもなく、こうしたからこういう結果が生まれたとひと言で説明がつくものでもない。
ただ私は、どうすれば自分のベストを尽くせるかについては、日々自問自答しているつもりだ。それはトップレベルのプレイヤーたち、すなわち日々競争に耐えている選手たちの姿勢と同じものだ。
厳しい競争に耐えるというのは、どうすれば自分がベストの状態でいられるか、日々模索し続けるということにほかならない。どうすればもっとチームを改善できるのか、どうすればもっとトレーニング方法を改善できるのか、どうすればもっと個々の選手の能力を伸ばせるか、どうすればもっとクラブのオーガニゼーションを改善できるのか・・・・・・・。
どの問いにも、これといった正解があるわけではない。日々の小さな積み重ねの結果、チームは少しずつ進歩していく。私はそういうものだと思っている。」
「いったん成功すれば、人は皆どうしてだろうと思うものである。勝因を解明し、自分でもそれを採り入れようとする。良い面だけでなく、そうでない面までコピーしてしまう場合も往々にしてあるが、真似をしようとすること自体が間違っているというわけではない。
一般論として、成功は問いを生み、他に影響を及ぼす。周囲の態度が変わっていく。それは悪いことではない。私はそんな向上心が好きなのだ。」

ベンゲル監督は「なぜ、できないんだ!」と選手を責めるのではなく、あくまでも選手が「成功の喜び」を自分で獲得する方法を、常に模索しているのがわかります。
ベンゲル監督に自己決定権を与えられたからこそ、ベテラン勢の復活のように、選手たちが生き生きしたのは事実。ベンゲル氏は「大人として扱う」「プロとして扱う」ことを、思考の中心にしているようです。

続いて話題が変わって、イギリス国民とサッカーとの結びつきの強さについて述べています。

「ここでは毎日、各家庭で必ずサッカーが話題にのぼる。それほど日常生活のなかにサッカーが溶け込んでいる。
イギリス人は新聞を開くと、必ず後ろの方から、つまりスポーツ欄から見る。あらゆる新聞が毎日サッカーを取り上げている。どこかの放送局ではサッカーを中継している。このことと関連して、私から見ても素晴らしいと思うのは、イギリス人が皆、どこかのクラブを一生サポートしていることだ。それはまるで一生続くラブストーリーだ。一生続く恋愛というのも、普通はちょっと考えられない。
クラブチームは家族同然なのだ。家族とは一生縁が切れないように、サポーターとチームは一生の付き合いになる。
イギリスでは自己紹介をするとき、名前の後に「アーセナルをサポートしています」というような言い方をすることさえある。サッカーが個人のアイデンティティーの一部を成しているほど一般化している」

一生続くラブストーリー、とはさすがはフランス紳士。例えが優雅でロマンティック。
でもこれ、サッカーを野球に置き換えると、日本もアメリカも同じですね。身近に親しいチームがあって、自然と愛着がわくのは万国共通のようで。それがつい10年前まで北海道にはなかったのに、今では応援すべきチームがある、というのは幸運なことかもしれません。

そしてプレミアリーグについて述べています。

「相手の選手たちがそれだけの資質を持っているのと同時に、彼らの中にコミットメント、つまり献身あるいは契約とでも表現できる意識がある。それは勝つためにチームにすべてを捧げるという意識だ。彼らは勝つために全力を尽くすことを常に要求されている。そういう選手がそろったチームを簡単に破ることなどできるはずもない。」

 

なんだか長くなりましたが、もう少しお付き合いください。続く