



審美歯科
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☆2016夏の鉄道旅★留萌本線の旅 その8 増毛探訪①
念願の増毛駅に到達したものは朝の7時半。で、なんと次の汽車は13時ころ!!
そう、5時間近く、増毛駅には汽車はやってこないのです!!
乗車してきた始発の増毛行きは、増毛駅到着10分後には、そのまま留萌方面行きとして帰っていきました。乗車していた鉄ちゃんたちも、その折り返し列車に乗って、去っていきました。本当に鉄道にしか興味がないのね。
自分は増毛は初めてだったので、そのまま残って、増毛をブラブラ歩いてみることにしました。
まず見えてきたのが、旧商家丸一本間家です。
なかなか立派ですね。すぐ隣には、最北の醸造所として有名な日本酒「国希」のお店もあります。
この豪邸を築いた本間泰蔵は、佐渡島出身、とのこと。
明治8年(1875年)に呉服問屋として、すでに賑わいを見せていた増毛にて商いを開始。
その後、すぐにニシン漁、海運業や醸造業を行い、不動産などにも進出。次々と事業を拡大し、短期間で巨万の富を獲得しました。当時のニシン漁は非常に「儲かる商売」で、日本海沿いの港町には、ニシン御殿と呼ばれる、豪壮な邸宅が次々と建てられていました。
本当は中を見学したかったのだけど、開館してませんでした。残念!!
さて、メインストリートから脇の道を除いてみると、すぐそばに海が見えました。
これが日本海。「対岸」は留萌のある地域。
この日は穏やかな感じでした。
さて、メインストリートを歩いていると、何やら史跡がありました。
増毛勤番として津軽藩から派遣された藩士たちが冬越するための陣屋があった跡、となります。
幕末に至り、蝦夷地近海にてロシア船の来航が頻繁に見られるようになると、幕府は蝦夷地の防備のため、蝦夷地を松前藩から召し上げて直轄地にしたり、それでは手が届かないとなると東北諸藩に場所を割り当てて防備に当たらせようとします。このあたりの変遷は話せば長くなるので、省略させていただきます。
で、津軽藩が幕府に防衛を言い渡されたのが「ソウヤ場所」だったのですが、あまりにも冬が寒すぎて、死者も出てしまった、とのこと。そこで幕府に願い出て、増毛での冬越しを認められたため、この地にて陣屋を開いた、とのことです。
「ソウヤ場所」って、あの「ソウヤ」ですよね?「宗谷地方」。という事は、津軽藩に割り当てられたのは稚内近辺だったんでしょうか?当時はまだ、稚内で越冬できなかったんですね。
本州の人から見れば、「北海道はどこも同じくらい寒く、雪が積もる」と思われるかもしれませんが、実は違います。
札幌はまだ、暖かい方だと思います。なお、札幌でも当院のある西区や手稲区、南区、中央区の山側は、雪がかなりつもります。でも、東区や豊平区、白石区はそんなに積もらないんですよね。
札幌の人にとって、稚内はもっと寒く感じると思います。
オホーツク地方や北見は、寒いしドカ雪!という状況。十勝は寒いけど、雪はそれほど積もりません。釧路も寒いけど、雪はそんなに。
今までで一番寒い!と思ったのは旭川です。旭川の1月・2月まさに「極寒」で、北見に長年住んでいた自分でも、その寒さには驚きました。一歩、建物の外に出れば冷凍庫!いや、冷凍庫よりも寒いと思う。
でも、道南の函館は、暖かく感じましたし、2月の後半には春の兆しも感じられます。まあ、寒い地域ばかり住んでいたので、内地の皆さんとは「春の兆し」の感じ方も異なるかもしれませんが。
なお、北海道の湘南、と言われる伊達地方は、雪も少なく、温かいです。なんせ火山活動が活発な有珠山の麓にあるので常に地熱で温められているため、年中、気温も温暖です。本州の豪雪地帯よりも温かい地域だと思います。
こんな感じで、「北海道」と一言で言っても、気候までは一緒ではありません。
なんだか盛大に脱線中。続きます。