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28年目の青函トンネル(2016年3月13日掲載)
- Date / 3月 19th, 2021
- Category / 鉄道のお話し
今回は、北海道新幹線を目前に控えた時期に掲載した記事です。
北海道新幹線の実現には、青函トンネルの成功が絶対条件でした。
敗戦から間もない日本が、この困難な事業をどのように成功させたのか?
青函トンネルに携わった方々に感謝しつつ、これからの北海道の新幹線を考えて見ましょう。
刻一刻と開業日が迫る北海道新幹線ですが、北海道に新幹線を走らせることを可能にした青函トンネルも、注目を集めています。
そして28年前の1988年の今日、3月13日、青函トンネルが開業したのでした。
当時から新幹線が通る日の事が話されてきましたが、30年近い年月をかけてついに実現。
日本各地では様々な文化施設や自然が「世界遺産」の登録を求めていますが、青函トンネルもまた、世界遺産にふさわしいと思います。
多くの大規模な歴史的遺産では、多大な人々の犠牲に成り立っています。「万里の長城」なんて、完成のためにどれだけの命が失われたことか。
しかし青函トンネルでは、犠牲者が出てしまったものの、強制的に駆り出された、ということはありません。
そして苦難の続く工事の中から、多くの新技術が誕生しました。月に人類を送る、という「アポロ計画」は、目標としては壮大な夢物語ではありますが、その過程で多くの新技術が開発され、今では日常的なものとなっています。
また「海底にトンネルを掘る」という、当時の世界では夢物語でしかなかったことに挑戦した結果、今やトンネル工事の常識となっている技術が生み出されました。
未知の目標に挑戦した、という点ではアポロ計画も青函トンネルも同じなのかもしれない。
かつてナポレオンも試みて実現できなかった海底トンネルを、日本人が史上初めて完成させた、という事実は、誇らしいことと思います。
今回は、JR北海道の車内誌に掲載されていた青函トンネルに関する記事と基に、青函トンネルの誕生を振り返ってみましょう。
青函トンネル構想自体はすでに第二次世界大戦前からあったそうです。終戦直後の昭和21年(1946年)には地質調査が始まっていた、とのこと。
その後、1950年代に入り朝鮮戦争によるものと思われる機雷が津軽海峡に続々と侵入。青函連絡船の航行の安全性も危惧され始めます。そして1954年の暴風雨によって洞爺丸をはじめ4隻の船が転覆、1155人もの命が失われる日本最大の海難事故が発生してしまいます。
この事故により、トンネル構想が具体化します。
そして東京オリンピックで湧く1964年に試掘調査と先進ボーリングを開始。東海道新幹線が開業した年に、青函トンネルの建設が始まりました。
*以下、工業系の用語が出てきますが、そちら方面には暗いため、おかしな表現となっていてもご容赦いただけましたら幸い。
当初はトンネルボーリングマシンという、海外製のトンネル堀削機械を使えば、計画通りに貫通するだろう、と楽観的に見られていたそうです。
ところが実際に掘り始めると、津軽海峡に真下の地層はとても軟弱なため、重いマシンはその自重で沈み込んでしまい、身動きが取れなくなってしまったとか。結局、邪魔になってしまったマシンを迂回するようにトンネルを掘り、マシンを外に押し出したとのこと。
トンネル工事は初手からつまづいてしまいました。
海峡下の地層が予想以上に複雑、軟弱であることがわかったため、本坑の工事に先駆けてまず地質調査用の先進導抗を掘り、堀削予定の先の地質をその都度、調査しながら本坑工事を進める、という作業を行うこととなりました。
さらにこの時、地質調査を行うためのボーリングにも問題が発生。ボーリングは通常、地上から鉛直方向(つまり真下の方向)に機械を下すため、重力も相まって真っ直ぐにおろすことができますが、青函トンネルでのボーリングでは鉛直方向ではなく水平方向にボーリングを行わなければなりませんでした。この水平にボーリングを行う、ということはとても困難な作業であったとのこと。水平を維持すること自体が難しいことに加え、急な出水なども発生。作業は遅々として進まず、月に100mもボーリングできなかった、とのこと。
このペースでは、いつ、完成後に全長50キロ以上となるトンネルを掘り終えることができるのか?
誌面によると、その時「逆転の発想」が考案されたそうです。
この「リバース工法」によりボーリング速度が急上昇し、常に1000メートルの掘進ことができるようになりました。1981年には水平ボーリング掘進の世界最長記録である2150メートルを記録した、とのこと。月に100m進まなかったのに、なんと2キロ以上になった!
これが青函トンネルが生み出した、新技術の一つ目。
先進ボーリングの問題は解決したものの、新たな問題が発生。
それは次々と起こる異常出水、湧水。高い水圧に湧水との戦いに勝利しない限り、青函トンネルの完成は成し遂げられません。
その解決策として、「地盤注入」があります。これは水ガラスとセメントミルク(特殊セメント)を混合させて作った注入剤を岩盤へ注入して岩盤を固めて水の通り道を塞ぐ、というもの。
注入の範囲はトンネルの径の3~5倍の範囲、とのこと。
簡単に書いてしまいましたが他のトンネル工事と異なり、軟弱な地盤かつ湧水の多い青函トンネルでは、これがなかなか大変な作業で、硬度を上げようとすると注入剤が早く固まってしまって、注入剤が深いところまで到達する前に硬化するために広い範囲に注入できず、また変化のめまぐるしい海峡下の地質に合わせて注入範囲やタイミングを計る必要があるため、従来に手法をそのまま適用するわけにはいきませんでした。
そのため、竜飛崎の試験室にて試験が行われ、最適な水ガラスの種類と配合物を解明した、とのこと。また注入範囲を地質に合わせてトンネルの半径をもとに導く基準も確立。他にも注入用ポンプの開発など、作業現場で必要となる様々な技術も生まれました。
注入剤改良はまた、青函トンネルでは避けて通ることができない排水に関わる経費も大幅に圧縮することを可能にした、とのこと。
こうして地盤注入の問題も解決されましたが、続入て問題となったのが「吹付コンクリート」。
「吹付コンクリート」とは、トンネル堀削直後にコンクリートを岩盤に吹き付けて緩みや崩落を防ぐ工法のこと。
山岳部のトンネル工事では、掘り出しで発生した土砂を運びだし、鋼鉄の柱などをはめ込みながら掘り進む(おそらく上手く言えていないと思います)のが一般的ですが、海底トンネルである青函トンネルでは水圧の高い湧水が頻発し、軟弱なために地盤が膨張して押し出されてくるなど、それまでの山岳トンネルの常識が通用しませんでした。
そこで「吹付コンクリート」が採用されました。これは堀削した直後にコンクリートを岩盤に吹き付けて崩壊を防止するというもの。
吹付コンクリートは、昭和20年代にヨーロッパで開発されましたが、まだ試験段階でトラブルも多かった、とのこと。
しかし国鉄の技術者がこの技術に着目し、改良を続けた結果、それまで海外の専門家の間でも意見が分かれていた問題を、解決したとのこと。
これにより工事の安全とスピードの向上が達成されました。
こうして様々な「新技術」が、建設と同時に生み出されていきましたが、それでも津軽海峡の地盤での工事は容易なものではなかった、とのこと。
特に異常出水が頻発。
ある異常出水の時の様子の記述では、
「遠雷のような山鳴りとともに毎分80トンもの出水に見舞われ、作業抗が水没してしまった」
また北海道でも「最強の断層」が行く手を阻み
「土圧でトンネル抗壁が膨れ上がり、矢板がバキバキと折れ、支柱が曲げられた」
この時の様子を想像して、背筋が寒くなってしまいました。
自分がトンネル内で工事している、と考えてみましょう。
作業中、雷が落ちたような爆音とともに突然、「バキバキ」という音が響き、周囲のトンネルの壁がみるみる自分の方に迫ってくる!!支えているはずの鋼鉄の支柱が簡単に曲がっている!!壁から水がどんどん溢れ、自分の足が見えなくなってしまった!!
狭いトンネル内。しかも上は海。トンネルの出口のどちらからも離れている。
自分なら、確実にパニックを起こしたと思います。
実際、工事中に17名もの命が失われてしまいました。
そうした苦難の果て、1983年1月27日、ついに先進導抗が貫通する日を迎えます。
首相官邸に設置された発破ボタンを中曽根首相が押したとき、北海道側と本州側の工事関係者が初めて対面することとなりました。
こうして多くの苦難とともに世紀の大事業である青函トンネルが開業しました。
苦難と犠牲の代償として、日本はトンネル技術で一躍、世界のトップレベルに踊りでることになります。
そして、イギリスとフランスを結ぶユーロトンネル、トルコのポルポラス海峡を結ぶ海底トンネルの建設に日本の技術が生かされます。
ユーロトンネルでは日本企業は困難な場所を割り当てられたものの、期限の半年前に工事を終えてしまったとのこと。
さらにトルコの海底トンネルでは、完成されたトンネルを海中に沈めてつなげる、という全く世界初の技術を確立。
青函トンネルから得られた知識、技術が世界の海底トンネルの工事に応用されています。
冒頭で、アポロ計画の際、多くの技術が誕生し、今では日常的になった、と書きました。
人類を月に送る、なんていう目標だけを見ると、何の利益もありません。人類の夢の実現、というのみ。しかしこの計画を成功させたことで、アメリカが多くの先進的な技術を得て世界をリードしたのも事実。
そして、函館と青森を結ぶ海底トンネル、というのも、ある意味「夢物語」とも言えます。
費用対効果のみを考えると、行う価値なんてないかもしれません。
しかしここから多くの技術が生まれ、今のトップレベルのトンネル技術を得ることができた、と考えると、目には見えない多くの利益をもたらしたのは確実。
今度、日本は有人宇宙飛行を行う、とのこと。自分で宇宙に送らずとも、すでに可能な国に任せればいい、というのはもっともですが、これを成し遂げたときに得られるものは、想像以上のもの、と思われます。
青函トンネルが残したもの、について、改めて勉強することができました。