審美歯科

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「北海道・北東北の縄文遺跡群」、世界遺産に推薦決定!

昨日、「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界遺産へ推薦されることが決まった、というニュースがありました。

世界遺産への推薦決定、はそのまま世界遺産に登録されることを意味することが多いとのことで、北海道から2つ目の世界遺産が誕生することになりそうですね。

 

でも、日本には多くの縄文時代の遺跡があります。その中で、なぜ「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界遺産の価値があるとされたのか。

縄文時代は狩猟の時代とされています。縄文後期には稲作も始まったようですが、長い期間、狩猟や採集を中心とした生活スタイルが続いてきました。

通常、「狩猟」を中心とする民族は一か所に定住せず、狩猟の対象の動物や家畜に合わせて遊牧や移動をするのが定説です。

やがて農耕が始まることで、はじめて「一か所での定住」が始まる、とされていました。

しかしその世界の常識を覆したのが、青森県にある「三内丸山遺跡」です。この遺跡では狩猟・採集が行われてた縄文時代の遺跡であるのも関わらず、集落が形成され、定住が見られた!

 

なぜ、日本だけ、狩猟生活にも関わらず一か所への定住が可能になったのか。

それは日本の気候にあります。

 

古代文明の代名詞ともいえる「メソポタミア文明」では早くから「都市」が形成され、それが進んで国家に発展していました。紀元前8000年以前から王朝の時代を迎えていたようです。

なぜ、メソポタミア文明が早い時期から都市を形成できたのか?ですが、メソポタミアの地は肥沃であったものの、雨はほとんど降りませんでした。そのために資源が乏しく、木材の原料となる木や食料となりそうな食物も少ない状況でした。

そのために人々は、チグリス河、ユーフラテス河の水を灌漑に利用することを発明し、大きな収穫を得ることで定住が可能となりました。つまり極端な気象環境が、メソポタミアに文明をもたらしたとも言えます。

中国でも、最初の夏王朝の起源が黄河の灌漑にあるとされています。

つまり過酷な自然環境によって、定住せざるを得なくなった、とも言えます。

 

メソポタミアや中国で王朝ができたとき、日本はまだ縄文時代の中期。

日本では農耕が起こらず、あいかわらず狩猟・採取の生活が続いていました。

これは日本の気象や地理と関係があります。日本は一年を通して高温・多湿のために、雨などの水資源に困ることが他の地域よりもかなり少なく、そのために植物も、ほぼ途切れることなく生息できています。これが植物からの「採取」の長期の持続を可能にしました。それによって植物を食料とする動物も増えることとなり、「狩猟」も保たれました。また、日本は四方が海に囲まれ、それも親潮、黒潮、対馬海流などのダイナミックな動きのある海流に囲まれているため、海産物も豊富に手に入れることができました。

そう、一か所でもそれなりに一年を通して、「狩猟」「採取」するものが途切れなかったのです。

また、島国であるため、国境を接する「他国」との戦争もなかったことも、要因の一つと考えられます。

そのため、狩猟生活であるにもかかわらず「定住」が可能となり、それがついには「集落」へと発展したのでした。

 

このような形で「集落」へと発展したのは、日本の縄文時代のみ。

文明の発展としても、世界的にも特異であるといえます。

 

よく、「ローマでカエサルが戦っていた時に、日本ではまだ原始時代だった」などと言われますが、他の地域は過酷な環境のために発展せざるを得なかったのであって、日本ではその生活が可能であったから持続した、と言えます。

そう、縄文時代とは日本列島と言う、世界でも恵まれた自然環境で生まれた文明なのです。そしてその「集大成」ともいえるのが三内丸山遺跡なのです。

そういう意味では縄文時代は、「4大文明」と言われるものと並ぶことができる、と自分は思っています。

 

正式に世界遺産に登録されたら、ぜひ、日本独自の原始時代の風景を見に行きましょう!